お笑い芸人のいとうあさこさんは、テレビで見ない日はないほど活躍しています。55歳を迎えた今、その人気は衰えるどころか「理想の上司」とか「一緒に働きたい人」として、若い世代からも圧倒的な指示を集めています。
時には、あさこさんが「そんなことまでしなくても、、」と言わずにはいられない時でも笑顔でやりきる姿は潔く、ある意味かっこいいと思えます。そんなあさこさんの姿にちょと元気をもらったりしたことはないですか?
なぜ、いとうあさこさんはこれほどまでに愛されるのか?その秘密が『情熱大陸』で語られます。その前に、この記事では彼女の波瀾万丈な歩みと、その根底にある「潔い生き様」に迫りたいと思います!
「エリート家族の名門お嬢様」から「家出」、19歳の覚悟
いとうあさこさんの経歴を語る上で欠かせないのが、その育ちの良さと、それを自ら捨てた「家出」のエピソードです。

超エリート一家の育ち
父親は東大卒で銀行の重役、兄は東大卒、自身も名門・双葉学園に通う「超お嬢様」でした。
19歳の覚悟
こうした「立派すぎる家族」の中で、いとうさんは「自分だけが何も成し遂げていない」という強いコンプレックスを抱えていた時期があったそうです。そして、図書館へ行くふりをして家を出て、3畳一間のアパートでの暮らしを始めました。親の看板を借りず、「自分の人生を自分の足で歩きたい」という覚悟でした。
自ら選んだ下積み20年
いというあさこさんの芸人としての道は決して平坦ではありませんでした。20代・30代はほとんど仕事がなく、アルバイトに明け暮れる日々。しかし、彼女はこの期間を「苦労話」としてだけでなく、「人生の宝物」として捉えています。
焼肉屋で「伝説の店員」に
20代から30代にかけて、あさこさんは中野の焼肉屋さんで10年間アルバイトをしていました。あさこさんの接客があまりに完璧で面白いため、芸人としての仕事が全くない時期でも、お店では「伝説の店員」として有名だったそうです。常連客からは「あさこちゃんに会いに来た」と言われるほど。どんなに売れなくても、腐らずに「目の前のお客さんを喜ばせる」ことに全力投球していました。
借金返済のために1日3つのアルバイト
20代のころ、当時の交際相手の借金を肩代わりし、その返済のために朝から晩まで働きつめていた時期がありました。朝はビルの清掃、昼は事務、夜は焼肉屋。睡眠時間は数時間という過酷な生活を数年続けてました。あさこさんは、この時期を振りかえって「あの時たくさん働いたから、体力がついたし、どんなに忙しくても平気になった」と話しています。
「起きたことすべてポジティブに変換する力」は、この時に鍛えられたのかもしれません。
大久保佳代子さんと公園飲み

当時はお金がなく、居酒屋に行くことすら贅沢だった時代。親友の大久保佳代子さんと、コンビニで買った安いお酒とスナック菓子をもって、夜な夜な近所の公園で語り合っていました。二人で「いつか売れたらいいよね」と夢を語るわけではなく、どうでもいい話で笑い転げていたそうです。この「どん底でも笑いに変える」経験が、二人の絆を強くし、今の「自虐だけど悲しくない笑い」に繋がっています。
あさこさんがどんなに過酷なロケでも笑顔でいられるのは、3畳一間の部屋で自分を失わず、焼肉屋の接客で人を笑顔にする喜びを知った、あの20年間の『下積み』という名の修行があったからなのでは。
「浅倉南」ネタで大ブレイク!
40歳目前での大ブレイク
あさこさんは、30代後半になっても芽が出ず、周囲の同期が次々と辞めていくなか、彼女は「もういつ辞めてもいい」という境地に達していました。かつてミュージカルを志していた名残で持っていたレオタードがありました。「これを着て、ヒロインのマネをしたら滑稽じゃないか?」という自虐ネタが生まれたのです。それが、「浅倉南」ネタです。
ネタ中の「浅倉南、38歳。最近、イライラする!」というフレーズ。実はあれは、キャラ作りではなく、当時のあさこさんが感じてい更年期の初期症状や独身の焦りからくる本音だったそうです。『爆笑カーペット』などで披露すると、その「必死に踊る姿」に同世代の女性から「切ないけど笑える!」「勇気をもらえる」と共感の嵐が巻き起こり、一気に人気芸人となりました。

『イッテQ!』で開花した「女芸人・あさこ」の覚悟
40代に差し掛かるころ、ついに『世界の果てまでイッテQ!』への出演が決まります。当初、スタッフ側も、「お嬢様育ちの40代の女性に、どこまでやらせいいのか」と遠慮があったそうです。しかし、彼女は泥水に顔を突っ込み、お尻を出し、極寒の海に飛び込みました。あさこさんがスタッフに言った言葉は、今も語り継がれているそうです。
「私はずっと仕事がなかったんです。呼んでいただけるなら、何だってやります」。
この覚悟が、スタッフの心を動かしたのです。これが、「NGなし」の伝説です。
家族も認めた「体を張る姿」
19歳で家を出たあと、家族とは疎遠になっていました。しかし、あさこさんのお父様がテレビで泥まみれになっている姿を見て、最初は絶句したものの、最終的に「あさこは、あさこのやり方で人を笑顔にしている。立派だ。」と認めてくれたそうです。あさこさんが「芸人」として家族に認められた瞬間でもありました。
あさこさんが支持される理由のひとつに、「老い」や「衰え」を隠さずに、笑いに変えたことです。ロケで走れば息切れし、翌日は筋肉痛で動けない。それをそのまま放送で見せることで、「テレビの中のなんでもできる人」ではなく、視聴者が”自分も同じだよ”と思わす頷いてしまう「代弁者」として、視聴者との距離を圧倒的に縮めました。
あさこさんの哲学「絶対に人の悪口を言わない」
芸能界という荒波のなかで、あさこさんが一貫して守り続けているのが、「人の悪口を言わない」というルールです。そこには、あさこさんなりの深い哲学があります。
「自分の機嫌は自分でとる。誰かのせいにしても何も解決しない。」
あさこさんにとって、悪口を言わないこと単なる「優しさ」ではなく、「自分の言葉に責任を持つ」という自立した大人の品格んおあです。この徹底した姿勢が、共演者やスタッフ、そして視聴者からの絶大な信頼に繋がっています。
飲み会での「悪口封じ」のプロ
お酒が大好きなあさこさんは、多くの芸人と飲みにいきますが、そこでも彼女の流儀は徹底しています。もし、誰かがその場にいない人の悪口を始めても、あさこさんは決して同調しないそうです。かといって、「やめなよ」と説教をして場を冷やすこともせず。「でも、あの人のこういうところ、私はばかだなと思ってすきだけどね」と、笑いを交えながら「愛のあるイジリ」に変えてしまうのです。
正義感を振りかざすのではなく、持ち前のユーモアで「毒」を「笑い」に変えて場を浄化する。これは並大抵の頭の回転ではできません。

マツコ・デラックスも認める「清潔感」
毒舌で知られるマツコ・デラックスさんは、いとうあさこさんのことを手放しで絶賛しています。マツコさんは番組で「あさこさんは、どんなに汚いことや下品なことをしても、根底にある『育ちの良さ』が隠しきれない。それは彼女が他人を攻撃して笑いを取るという、安易な道をえらばないから」と分析しています。
誰かを落として笑いを取る「下向きの笑い」ではなく、自分を笑いの種にする「自己完結した笑い」を貫く。それが彼女の圧倒的な「清潔感」と「安心感」の正体です。
まとめ:いとうあさこさんが「愛される理由」
いとうあさこさんがこれほどまでに惹かれるのは、彼女がただの面白いだけの芸人ではないからです。
「自虐」ネタは知的な戦略
あさこさんの自虐ネタは、決して自分を卑下しているわけはありません。40歳を過ぎた自分の老いや独身という現状を、誰よりも冷静に、かつ客観的に観察し、それにエンターテイメントへと昇華させています。自分の弱さをさらけ出しつつも、気品を失わない姿は、「自分をどう見せるべきか」を論理的に理解している知性があるからこそできる芸なのではないでしょうか。
「悪口を言わない」という、最も賢い生き方
感情にまかせて誰かを批判するのは簡単です。しかし、あさこさんは「悪口を言っても何もうまれない」ことを経験から知っています。どんなに理不尽な状況えも「自分の責任」として飲み込む。それは、一時の感情に流されない理性があるからできることです。
55歳、いとうあさこさんが教えてくれる「大人」の定義
名門家から飛び出し、自分の足で歩くことを決め、20年という長い下積みを経てつかんだ現在のポジション。あさこさんが『情熱大陸』で見せてくれるのは、「孤独さえも自分の知性で楽しみに変えてしまう、自立した大人の姿」ではないでしょうか。



コメント